「インディ2.0」 自分なりのライフスタイルの法則

精神的、経済的に自立したナチュラルな生き方

老いるということ その2

祖母の御見舞に行ってきたときに

感じたことを

前回のブログで書いたのですが

先日、介護施設に移動してから

はじめて顔みせにおばさんと

行ってきました

 

せっかく関東圏にいるんだから

毎月のように顔を

見に行こうと

決めていたのに

結局

場所がわからないとか

おばさん、伯父さん

いとことタイミングがあわないとか

でのびのびになっており

結局行けたのは

3ヶ月後

 

初めてはいった施設は

新設で設備も老朽化しておらず

廊下のスペースも

こんなに広いんだ

と思うくらいで

こりゃ介護士の方

歩き回るのが大変だわ

 

そしてわざとなのか

エリアのゾーン分けや

名前が小さくなっていて

不審者とか入ってきた時の

対策なんでしょうか?

似たようなつくりの構造で

迷うような設計になっていました

(あくまで私が感じただけかもですが)

 

おばさんが案の定間違えて

違うエリアにいってしまい

ようやく祖母の部屋に

 

この施設に入ってから

むくみがひどいらしく

3ヶ月前とは

顔つきが変わっていました

 

脳梗塞で倒れてしまったため

麻痺は残っていないものの

自力で立つことは

少しむずかしく

人の手をかりないと

立ち上がれません

 

となると

トイレも自分でできず

横になっているだけの時間が長く

もともと社交的なタイプでは

ないため

他の入居者さんとも

交流する気もなく

(毎日のようにカラオケ会は催されているそうですが)

TVもないので

ただただ

枕の横にある

目覚まし時計の音だけを聞いて

うつらうつらし

3食は与えられるものの

たいして美味しくない
(祖母いはく)

 

「こんなことまでして生きてかないといかんのかなー」

と何度も繰り返します

 

もともとなんでも一人で

やってしまう人だったからこそ

体の自由がきかなくなるということは

なによりも

自尊心が奪われます

施設への支払いは

おじさんが出しているようなので

金銭面の不安はないようですが

それはそれで

親の心情としては

生きてることで迷惑がかかっている

と感じるわけで

かと言って

いくら本人が望んでも

現状「安楽死」的な選択肢もありません

 

というか

本人がいくら望んだとしても

残された家族には

もやっとしたものが残ることでしょう

 

たまたまですが

いとこが医療関係の仕事をしており

その施設が担当エリアらしく

仕事ついでに

ちょくちょく会いに来るようで

祖母の面会リストには

彼の名前がたくさん

身長182cmで愛嬌もある子なので

施設の職員さんに大人気だとか笑

 

孫は無条件に

祖父母が好きなので

どんなかたちであれ

長生きしてほしいと

勝手に願うわけですが

弱った姿を見せたくない

という心情もオトナならあるはず

 

私ができるのは痛いところを

さすってあげるくらいで

そんなことがどれくらいの

慰めになっているのかはわかりません

 

あらためて「今」を生きる大切さ

「悔い無く生きる」ことの難しさ

 

あなたは「老いる」自分を想像したことがありますか?

 

今回も最後までお付き合いいただきありがとうございました

Nice meeting you:-) 

 

Michelle84でした