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「インディ2.0」 自分なりのライフスタイルの法則

精神的、経済的に自立したナチュラルな生き方

3.11

6年前の今日のあの時間

私はバスに乗っていました

 

東日本大震災から6年

阪神淡路大震災のことは

「22年前」という

タイトルで投稿したのですが

 

この津波があった日は

私はまだ関西在住で

ちょうど

午後休をとり

バスでしか行けない

場所に有る税務署へ

確定申告をしにいった

帰り道のことでした

 

バスの中だったので

それほど揺れは

感じず

また同じバスに乗っていた

運転手さんも

乗客の方も

誰も気が付かず

私は実家の母からの

携帯の着信で

体感がないまま

「ん?なんのこと?」

な会話になったのを

覚えています

 

私の実家は石川県なのですが

石川でも揺れたそうで

震源地が福島の方

とはいえ

関西でもたしか

震度3くらいあったかと

 

母方のほうの親戚が

福島、千葉におり

その不安感も手伝って

電話してきたようでした

 

そのときは

スマホではなかったので

自宅に着いてから

すぐにTVをつけると

揺れた直後の映像が

繰り返し流されて

徐々にいろいろ

明らかになっていくわけです

 

関西では

普通に公共交通機関は

動いており

お店も普通に開いている

だんなも普通に帰宅

夕方以降の

TVで観る東京の風景は

以前9.11でも感じた

「あれ?これって現実だよね?」

のリアル感のなさ

 

当時、友人の娘さんの

成長日記的な

ブログが好きで

愛読していたのですが

友人がその娘さんのお迎えに

いけてないんじゃないかと

できれば私が迎えに行ってあげたい!と

おばちゃん精神全開の

余計な心配

 

あの時は不要な電話やメールは

しないほうがいいと思っていたので

心配だけどブログの

更新を待つことに

 

数日後のブログで

彼女はその日のことを

記していましたが

都内の職場から

なんとか動いていた

電車・バスに乗り

保育園に着いたのは20時ごろ

保育園の方は

保護者が迎えにくるまで

その日は対応されていたそう

 

幸運にも

私の知り合い、周辺で

犠牲になった方は

いなかったとはいえ

被災地の方の

悲惨な状況は

決して他人事でもなく

 

3月とは言え

まだ春の浅い地域で

どれだけの

寒い思い

悲しい思い

不安な思い

せつない思い

どこにぶつけていいかわからない思い

があったことか

 

その後も

しばらくそういった

報道は続き

私も海外の友人から

大丈夫?の確認メールが

続々届くことに

 

被災地とは遠い関西とはいえ

彼ら、彼女たちにとっては

「JAPAN」なので

その気遣いがありがたかったり

 

私は1つ決めていることがあります

もし東京で

「帰宅難民」大量発生

ようなことが起きたなら

帰れない人を

自宅に泊めてあげようと

考えています

どれくらいの人が

受けいれるかは

わかりませんが

イメージしておくことは

大切かと

 

東京に住みはじめて

改めてリスクヘッジでは

ありませんが

自分自身も

ちゃんと自宅に帰れるように

都内の道は把握しておかないと

 

震災の教訓は

たくさんあると思いますし

それを活かした施策も

たくさんおこなわれて

いると思いますが

天災は忘れた頃にやってくるし

それを対処するのも

乗り越えるのも

人間

 

亡くなった方への

せめてもの報いとして

それらの教訓を活かすこと

そして、自分には

何ができるかを

考える事

 

6年前のこの日に不幸にも亡くなってしまわれた方のご冥福をお祈りいたします

黙祷&合掌

 

Michelle84でした