感恩的心
言語と文化は
表裏一体
コミュニケーションが
難しいといわれる
1つの理由
中国では有名な
スピーカー(男性)の講演
を聞く機会があり
その際に
逐次通訳で日本人と思われる方(女性)が
訳してくださっていたのですが
日本語がとても自然で
スピーカーの身振り手振りを同じように
やってみせてくださる
(一見夫婦漫才みたいな掛け合いのようにも見えるくらい)
途中からはスピーカーの方の話そっちのけで(笑)
その通訳さんのプロ意識に感心しっぱなし
だったのですが
同じ会場にいた
中国人の方で
日本人の男性と結婚し
日本にも住んでおられる方と
講演の後にお話する機会があったのですが
「スピーカーはもっといいこと、深いことをいっているのに通訳さんがそれを十分に伝えきれておらず、日本人の方に伝わっていなかったのが非常に残念だ。」
とおっしゃるのです
いち聞き手からすると
その通訳さんは
十分経験もお有りで
スピーカーの方の通訳も
何回かされていらっしゃるようで
適宜日本人が「?」と思う
言葉なんかは補足です。とおっしゃって解説しておられたし
非常に的確で上手だったと思うのですが
(後で声をかけたときに伺ったのですが、彼女の母親が中国の方だそうで、中国語はほぼネイティブだと思われます)
生粋の中国人で
日本語ができる方からすると
物足りないという視点が印象的でした
そして、その指摘をした方が
1つの例として
日本語では「感謝」だけど
中国語では「感恩」で、「ありがたいと思う気持ち+恩を感じる」でもっと深い意味があるとのこと
私はその方から初めて
「感恩」という言葉を聞いたので
その単語に関しては
とてもいい言葉だと思ったし
そういうことを理解できる素地が
日本人にもあると思います
しかしながら
日本語には「感恩」という単語がないので
「かんおん」と音だけでは
一般的には耳慣れず、不自然に聞こえてしまうことが
聞き手の理解を止める可能性もあります
通訳さんは
「感恩」という単語も
ご自身の背景から考えると
その文化的背景もきっと
十分にご存知だったと思われます
逐次通訳という立場上
必要以上に背景まで通訳さんが話してしまう(意訳すると)
場合によっては彼女の権限を超えてしまうことになるでしょうから
日本語では「感謝」とされていた
通訳さんの判断が賢明だったと思います
自分が100%伝えたくても
伝わるか、受け入れるかどうかは
あくまで受け取る相手次第
そして
言葉が異なる人に伝えたいと思うと
なおさら
伝える側の力量をあげていくしかないのだと
最認識した出来事でした
今回も最後までお付き合いいただきありがとうございました
Nice meeting you:-)
Michelle84でした