「インディ2.0」 選択肢がある人生を

勝間和代さんのサポートメールに反応して、自分なりの考えを徒然するブログ

本日4月6日は

母の誕生日です

基本ハレの日が

大好物な母が

1年で

最も張り切る日でもあります

 

と、イヤミっぽいところが

わたしにはあるのですが

それは私の中の

母への思いが

屈折している証拠

 

母はとても

「女子」です

私はどちらかといえば

男前なほうなので

いわゆる「女子」は

苦手です

 

カミングアウトしますと

私は記憶がある頃から

母との距離感を

ずっとはかりかねていました

 

大学進学で

親元を離れることは

私にとっては

意図的に行ったこと

地元に残り

親と近い距離にいる

という選択肢は

私のなかでは

ありませんでした

 

進学はさすがに

県外にでるので

相談しましたが

その時は

私の意志を尊重してくれました

 

留学も

就職も

転職も

結婚も

数回の引っ越しも

何一つ親に相談したことはありません

すべて事後報告

 

それは自分が

自立している

独立していると

いえば聞こえがいいですが

親を精神的に全く

頼っていないだけのこと

 

父親からは

「自分で勝手に育ったような顔して」

と可愛げのない私への

あてつけを常日頃いわれ

私とよくぶつかっておりましたが

母はそういったことは

一切言わない人で

その空気を

しれっとなかったようにする人でした

 

大人になると

それが最善の方法だと

分かるわけですが

子供のころは

基本的に自分中心でしか

物事はとらえていませんから

 

「この人いつもその場しのぎ」

「バカな人だなあ」

 

と思っていたんです

本音をいうと

 

「バカだな」

とは決して本人には言えませんが

きっと顔にはでていたでしょう

母にすると年端もいかない娘に

バカにされていると

感じたことは辛かったことでしょう

 

最近甥がぐんぐん成長して

やることなすこと

私にそっくりだと

母がいいます

私は甥と接する時間が

ほぼないのでその感覚は

わかりませんが

私の小さい頃に母が感じた感情が

フラッシュバックしたのだと

想像がつきます

 

「あなたは頭がよすぎてついていけない」

 

ここ数年前からだと思うのですが

母がこういうようになりました

 

実は私だけでなく

兄に対してもそう思っていたようで

 

「この子たちには意志がある。だったら自由にさせてあげたほうがいい」

 

とあるときから

悟ったそう

 

母は20歳と22歳で

兄と私を産んだので

恐らく25際くらいのときの気づき

若い母親だったことと想像できます

 

幼い私の記憶では

一緒に何かをしたような

記憶がほとんどなく

子供に対して

無関心な母親だと

思っていましたが

実はそうではなく

私達兄妹の

意志を尊重する形で

身を引いたのだったのだと

今ならわかります

 

そして

まさに母の影なる

サポートがあったからこそ

田舎の慣習に

埋もれることなく

今の自由に選択

できる自分になれている

 

いまだに可愛げのない娘ではありますが

それを

「そんなこともあったかな~?覚えてないや」

と許してくれるのは

母の愛

そしてそんな彼女の生き方は

実はとても正しかったのだと

気がつくのに40年近く

かかりました

 

お母さん誕生日おめでとう

 

今回も最後までお付き合いいただきありがとうございました

Nice meeting you:-) 

 

Michelle84でした